相模原市にある教会 エペソ1:1-2節

● エペソ 1:1-2
1:1 神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。
1:2 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

パウロはエペソで約 3年間福音を伝えました. 使徒パウロがエペソを訪問した時アポロによって教えを受けた人々はわずか 12人でした.
●使 19:9-11
19:9 ところが、ある人たちは心をかたくなにして、信じようとせず、会衆の前でこの道をあしざまに言ったので、彼は弟子たちを引き連れて、その人たちから離れ、ツラノの講堂で毎日論じた。
19:10 それが二年間も続いたので、アジヤに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシヤ人も皆、主の言を聞いた。
19:11 神は、パウロの手によって、異常な力あるわざを次々になされた。
パウロは約3年間ツラノの講堂で福音を語りました。それによって全アジアに福音の影響を及ぼしたのです.
エペソの働きが終えて使徒パウロは自分の祖国(そこく)イスラエルエルサレムにしばらく帰ります.
そしてそこで福音を伝えている途中また逮捕になります. パウロはローマの監獄にあったがパウロの関心はエペソ教会にありました.何故ならばエペソ教会が固く立つことによってアジアを変える希望になるからです. それでパウロ使徒はエペソ教会に向けて手紙を書きます. それがエペソへの手紙です。
エペソ書の核心は、教会が教会らしい時、教会は真に世の中の希望になることができるので
まだ幼い教会であるエペソ教会に向けて教会に対して教えます.
教会は一体何ですか?
1-2節を通じて教会についてお話したいです。
手紙を送った人
1:1 神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。
エペソ人への手紙を記録した人はパウロです.
パウロは本来イエスキリストを信じる人ではなかったです. むしろ極烈(きょくれつ)な反対者で, イエスキリストを信じる人々を捕らえる事に先導に立った人です. そして本来の名前はサウルです.
その時 サウルはイエスキリストを信じる人々を捕らえるためにダマスコに行く中でした.
ダマスコに近づいた時, 突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。
彼は地に倒れたがの時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。この事件で彼は完全に変えられました. 彼は彼がそのように極烈に反対したイエスキリストを伝える人になりました. 彼は自分を ‘キリスト・イエスの使徒パウロと言いました.
1. キリスト・イエスの使徒パウロです.
ここで使徒[ajpovstolo"/アポストルロス]は.「使者,大使,特別な使命を帯びて派遣された者」という意味で用いられる語である.新約聖書ではまずイエス・キリストによって直接弟子として任命された者たちが使徒または弟子と呼ばれたパウロは自分を使徒と言ったことは彼が自分をイエスキリストから派遣された者だというのです. 彼はイエスキリストを伝える人という明らかな自分のアイデンティティを持ちました.
ところが, パウロだけではなくすべてのクリスチャン人たちはイエスキリストの使徒です.
マタ 28:19-20
28:19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、
28:20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
イエスキリストを信じる人々は誰もこの世の中でイエスキリストに呼ばれた神様の民です。
イエスキリストに代わり世の中に出てイエスキリストのために働きものです。
ですから私たちはイエスキリストがこの世の中に送られた人です.

パウロはどのようにしてイエスキリストの使徒になったんですか?
1:1 神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。
パウロはイエスキリストの使徒になったことは、神の御旨によることです。
ここで御旨の意味[qevlhma/デルレマ]は神様の決心, 神様の意志によって
これは神様の一方的な意志によってパウロの意志とは全然かかわらず一方的な神様の計画でパウロの生(しょう)の方向を変えました.
それでパウロは自分の意(い)ではない神様の御旨で使徒として呼ばれたのです. これを召命いといます。これを不可抗力的(ふかこうりょくてき)な恵みと言います. 神様が恵みをくだされば私たち人間がその恵みを受けなくては耐えることができないです.
クリスチャンの失敗することは力がなくてはないです. 信仰がないからです.
お金がなくてはないです. 今私と共にいらっしゃる方がどんな方なのかを信じることができないからです。
能力がないからではありません。 自分を呼んで送った方がいつも共にいらっしゃるということ信じないからです.私たちは神様の御旨によってイエスキリストを信じるようになったのです.
私たちはり神様の御旨の中にいる人という確信をしなければなりません.
● ロマ 8:28
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
私たちは神様の計画のために私たちを呼んだのです. アガペー教会も神様の御旨でここで新しい出発をするのです.
宛先
1:1 神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。
私たちはエペソという地域に注目しなければなりません.
ローマ当時小(しょう)アジア最大の都市で東洋と西洋を連結する新ローマと呼ばれました.
2万 5千名を収容出来る劇場, 体育館, 音楽堂と巨大なショッピング施設と大風呂場施設もある都市です.エペソは小アジアの重要な港市(みなとし)として交通と貿易の中心地でした.
一方アルテミス神殿を中心にした偶像崇拜が氾濫(はんらん)しました.
エペソという地域に住んでいる聖徒たちです. それと当時にイエスキリスト中に住んでいます.
今、住んでいる地域は私たちに多くの影響を与える所です. ですから私たちはこの地域に属した人々です. それとともに私たちはイエスキリストの中に住んでいる聖徒です.
つまり、私たちは天と地、二つの所で住む人々です.
私たちが経験している多くの霊的な苦しみは、私たちが二つ国に住むということを覚えてないところで生じる問題です。 私たちはイエスキリストを信じていますが、この世の中に没頭(ぼっとう)したあげく私たちがまたイエスキリストの内にある事実を忘れて暮しています.
私たちはこの地でどのように暮さなければなりません.
1節神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。
聖徒として暮すのです. (新しい共同体)
〈聖徒たちへ〉.〈ギ〉ハギオイは神の御用のために聖別された者を言う.信徒は神によって世から選び分たれた者である
神様の御心を果たすために神様の選択によって呼ばれた人々であることです. それが聖徒の意味です. 世の中と分離してキリストに属した存在です.
‘聖徒はこの地の多くの人々の中に神様が私たちを区別してくださったことを強調する単語なら,
忠実な者として暮らさなければなりません。
〈忠実な〉(〈ギ〉ピストイ)とつなげて,「キリストを信じる者たち」と解することも出来る.信者はキリストに忠実な者なのである
教会は “神様の呼ばれてこの世の中から区別されたイエスキリスト信じる新しい共同体”です。
パウロがエペソ教会の人々がキリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへと呼んだのは
エペソ教会の人々が元々他の人々より聖別されたのではありません。
彼らのそのようになったわけは、イエスキリストを信じる者なったからです.
今日私たちも同じです. 私たちもこの世の中人々とあまり差がない人々です.
しかし、私たちがキリストキリストを信じる者になったから私たちは聖徒になりました.
言い替えればこの世の中と区別されたということです.
私たちはこの世の中に住んでいますが、この世の中に属した者ではないです.
● ヨハ 17:16 わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。
そうです. 私たちはこの世の中に住んでいますが、この世の中に属した人々ではないです.
他の言葉にすれば聖徒という言葉です.
だから私たちは聖徒らしく暮さなければなりません. この世の中人々と違うように暮さなければなりません.
この世の中人々は嘘をついても私たちは違うように暮さなければなりません.
この世の中人々は物質のために住んでも私たちは違うように暮さなければなりません.
この世の中人々は利己的に住んでも私たちは違うように暮さなければなりません.
この世の中人々は世の中習わしに従っても私たちは違うように暮さなければなりません.
これが信仰の世界観です.
聖徒たちに与える恵み
●1:2 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
恵みの意味は何ですか?
恵みは愛なる神の,人間に対する好意です.それは値がない神様の贈り物を示す言葉です.
イエスキリストの十字架の恵みによって私たちに救い与えて下さいました。
● エペ 2:8-9
2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
2:9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
救いは恵みです. 値なしに与えられる神様の贈り物です.
それが誰に与えられると? 信じる者, 聖徒たちです.
また、平安は何ですか?
これは、恵みの結果で得られることです。神様との正しい関係による心の状態.
●ロマ 5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
この平安を得られる聖徒は、患難の中にも喜びが満たされます。
だからこの二つは最大の祝福です.
恵みと平安 この二つよりもっと良いことはないです.
一つは救いです. もう一つはその救われた聖徒たちの心の状態です.
この二つさえあれば私たちはこの地でいくらでも勝利することができます.
いくら大変で難しくても賛美しながら暮すことができます.
恵みは力です。平安は喜びです。
私たち教会はいつもが恵みと平安の力で新しく出発する教会になります

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